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プロフィール
お 富 
ニックネームはお富さんです。戦後生まれの団塊の世代で、職人の町、西陣で生まれ、学校卒業後、三代目として家業を継ぐ。ものづくりの得意な職人が、集大成として、西陣織を使った和工芸品の創作販売サイトを作ったり、町づくりをしています。

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Posted by 京つう運営事務局 at

2009年12月27日

フィリピン織物指導 番外編

フィリピン織物指導に関して、時間が少し経ちますが、11月に一緒に行った
方の素材展があり、その折、ピーニャでお世話になった方を招待し、レクチャーを
して貰いました。
 私も、一日観光案内を引き受け、忘れた英会話を思い出しながら、そして、
冷や汗もかきながら、案内しました。
 先ず、西陣での一歩は、何と言っても西陣織会館で、手織りを見たり、
ファッションショーを見たりして、自宅へ帰る途中、昼食を摂る為に、
京料理を頂きました。箸の使い方も上手で、食事の内容を説明するのに、
私は大変でした。やはり、心配していた生もの特に刺身は、遠慮されていました。

 そして、帰宅後、時期的にもみじが綺麗なという事で、近場の金閣寺へ観光。
ガレージも一杯、中も一杯でしたが、もみじは綺麗でした。
 でも、混雑しているので看板には「団体の集合写真はお断り」と書いてあるのに、
中国の方々の団体さんが、周りを気にせず、無理やり記念写真を撮っていて、
とても、残念に思いました。まして、横にいるガードマンも、注意もせず、
これも、残念に思いました。

 そして、ぶらぶら、歩いて大徳寺に行き、一寸拝観して、自宅に戻る途中、
オルゴールサロン ヒロに立ち寄り、珍しい大きなオルゴールを聞いたり、
ストリートオルガンでを回して、踊ったりして楽しい思いをしました。

 そして、自宅へ帰って、すき焼きパーティをして、送って行きました。

約10日間の滞在でしたが、喜んで頂けたようです。

でも、フィリピンへ行った時に、新しい技術を伝授したのですが、未だ、
完成出来ていず、未だに、メールのやり取りをしている状態で、
来年には、是非、完成してほしいです。
 又、フィリピンへ行かなければならないのかな?

西陣織会館のファションショー


もみじ綺麗な金閣寺

  

Posted by お 富  at 02:03Comments(0)フィリピン織物指導

2009年11月10日

フィリピンの織物指導の旅日記 5日目 帰国日

旅日記も最終日になりました。
今日は、ピーニャの歴史を見るのと、現代のピーニャの製品を見に博物館と美術館へ行く事になっています。
朝食の前に、近辺を散歩に30分程出かけましたが、大邸宅が立ち並び、住宅街に入る前に、チェックを受けた
従業員の方々の出勤風景が見られました。
 道路は通勤ラッシュもなく、到る所に「HUMP」の看板があり、道路に起伏が付けてあり、スピードが
出ないようになっているようです。
 家に戻ると、先生が、プールでひと泳ぎの最中、「泳ぎませんか」の声掛けがありましたが、朝食の
用意が整っているようで、一寸一服後、「ブレークファーストタイム」

 朝食後、帰国の準備で、土産などをスーツケースに押し込んで、従業員の方の運転で、町中へ。
住宅街を出るチェックの所までは、順調でしたが、出たら、到る所ラッシュアワー。
 信号で止まると、物売りの若者が車に寄ってくる。売る物は、チリトリのようだった。

20分程走って、ピーニャの歴史を勉強するために「AYA MUSEUM」に到着すると
開館まで、少し早く着き、入口には、地元の小学生が、フィリピンの歴史を勉強に
来ているようで、入るまで一寸、大変でした。
 中は、階によって、催しが違っていて、ピーニャの階にエレベーターで向かい、
19世紀に造られたバロンダガログ(ピーニャで織った布をカッターシャツに仕上げた物)を
見て、良く、織れな物だなあと感心するばかりでした。織物に携わる者にとっては、
かなりのプラスになり、行って良かったと思っています。

 そこを後にし、現代のピーニャ製品の展示してある美術館に行き、短時間で見学し、
マニラ空港まで、直行し、出国手続きをして、帰国の途につきました。
タイムスケジュールがかなりハードで、あっという間に5日間が過ぎ、織物の指導もして来たし、
勉強もして来て、有意義なフィリピンの旅でした。
 これからも、フィリピンでの織物指導はしていこうと思っていますし、アジア諸国には、
色々な織物があり、織物指導や、勉強をしていきたいと思っています。

散歩の途中の住宅街の風景


泊らせて頂いたお宅のプールサイド


「HUMP」の看板


「AYA MUSEUM」


「AYA MUSEUM」前の小学生の団体



これで、フィリピンの織物指導の旅日記はお開きとなります。
  

Posted by お 富  at 22:46Comments(0)フィリピン織物指導

2009年10月11日

フィリピンの織物指導の旅日記 4日目

マニラに戻る4日目の朝を迎え、乗合ボートに乗り、パナイ島戻り、カリボでお世話になった
お宅へ帰りの挨拶に出向き、置いてあったスースケースを整理し、時間があったので、
再度、奥にあるニト(竹製品)の工場を見学し、色々と質問しました。解ったのは、竹材料を
外注を受ける女性に渡され、組み上げた品物を工場に運び、それを工場で、仕上げ作業をし
箱詰めして、アメリカ等に輸出をしているとの事でした。
 その後、昼食をよばれ、カリボ空港まで送って貰い、別れを惜しみながら、機上の人と
なりました。天気はまずまずでしたので、地上の景色もはっきりと見えました。
 マニラ空港に到着し、タクシーで泊めて頂くお宅へ行くと、初めての光景を見ました。
と言うのも、上流階級の方々が住む住宅街に入るためには、タクシーの運転手は
住宅街の入る所には、検問所のようなゲートがあって、ガードマンに免許証を渡し、
引き換え券のようなものを貰い、行くお宅へ連絡を取り、確認してからゲートが開くように
なっていている。以前、上流階級の金目当ての誘拐が多発し、そのようになっているとの事。
別の中流階級の住宅街でも、必ず、ガ―ドマンが立っていた。必ず、ガードマンは拳銃を所持
していた。
 泊めて頂くお宅の女御主人は仕事で不在で、よる8時に帰宅してそれから夕食との事で、
メイドさんに、寝室を案内され、これも吃驚。こんな所に一人でという寝室でした。
 夕食まで時間があり、マカティという安心な地区の日本でいう百貨店と同様な
スーパーマーケットへ行き、ここでも、2時間半程、各自別々の自由時間という事で、
土産の買い出しにうろうろ、全て、英語だから、もうたいへん。
 ここで、ペソも少なくなってきたので、ドルを、ペソに交換した時も大変。
書類を書かなければならないし、横には拳銃を持ったガードマンが立っているし・・・・
トイレを探すのもこれまた大変。(漏れ~る)

 そうしているうちに、集合時間が来て、合流し、泊めて頂くお宅へ向かう。
そして、暫く寛いで、ご主人が帰宅、挨拶もそこそこに、夕食を取りに、
上流階級の集まる場所でもあるポロクラブのレストランへ。
玄関を入ると、音楽が流れていて、丁度、ダンスタイムであり、その中には、
フィリピンには多い「おかま」さんが数人いた。
 それを横目に見ながら、レストランへ。豪華絢爛の夕食の幕が開けた。
女御主人は、以前、東京の大学へ留学をしていたとの事で、その大学は、
偶々、私も以前、アメリカの友達が、短期留学の時に世話になった大学で、
話が盛り上がりました。
 そうしているうちに、時間が経ち、大邸宅への帰宅となりました。
本日、これまで

カリボまでの道中


ニトの工場前


カリボの泊まったお宅の昼食風景


カリボ空港


フィリピン航空に搭乗前


地上風景


大邸宅での寝室


マカティのスーパーマーケット


マカティのスーパーマーケット内


ポロクラブの中庭








  

Posted by お 富  at 03:10Comments(0)フィリピン織物指導

2009年10月05日

フィリピンの織物指導の旅日記 3日目

 3日目を迎え、ハードスケジュールの中、現地での筬作りを見に、早朝に起床し、1時間半のドライブ。
運転手は、泊めて頂いた所の親戚の方で、元船乗りと言う事もあり、日本にも度々、立ち寄ったの事。
パナイ島の中の宿泊した地域は信号機がなく、市外は、日本だったら、即、スピード違反の速度で、
突っ走る。(一寸怖かった) でも、数か所の村に入ると、スピードを落とさせるために、木製のガードがあり、
その時は、一寸スピードダウン。

 走馬灯のように、流れる景色を見ながら、目的地に着き、それから、村を通り抜けながら、山道を歩く事、
約30分。息が切れた!!!
 到着後、ココナッツを頂き(実も美味しいけど、ジュースは美味しかった)、筬作りを拝見し、指導も行いました。

 そして、山を降り、息抜きの為、セブ島に並ぶ、サンゴ礁が砕けた白い砂浜のあるボラカイ島という所へ、
ボートで移動して、海岸に近いホテルに入る。
 天気が良ければ、ビーチで泳ぐ予定であったが、11月ごろまで、雨季で、その日だけ、晴れ間もあったが、
海も荒れていて、遠浅のビーチに入れなかった。でも、少しだけ、砂浜を歩き、南国の雰囲気を味わった。
 一寸一服して、三時間ほど、束縛されない各自自由時間と言う事で、ホテルを出る。
ホテルの前は、土産物屋や食べ物やが並ぶ、モール街?でお土産を買いにショピングする。
購入する度に、英語が通じるので「ディスカント プリーズ」を連発、結構、値引きをしてくれて、大助かり。

 夕食の時間となり、ホテルに戻り、浜辺のシーフードのバイキングの店に入り、ロブスターや肉・豚の
スぺアリブ等を頼み、豪華絢爛の夕食となった。

 そして、寝るには、早いので、ホテルのプールで泳いでゆったりとした時間を過ごす。
(残念ながら、星は見えなかった。雨季でなかったら、満天の星空が見えたと思う。)

 部屋に戻り、明くる日も早いので、就寝。

筬作りのお宅への道中の村の風景


筬作りのお宅への道中に掛かる橋


筬作りのお宅への道中のお店


頂いたココナッツ


この船でボラカイ島へ渡る


ホテルまでのモール街


ホワイトビーチからの眺め


ビーチ横の飲食街


宿泊ホテル


夜に泳いだホテルのプール




 



   

Posted by お 富  at 01:01Comments(0)フィリピン織物指導

2009年09月22日

フィリピンの織物指導の旅日記 第2日目

にわとりの鳴き声と日本でも懐かしい「とうふや」のラッパの音(ト~フ)で、目覚ましを
かけずに、早く目が覚めた。とうふやは、自転車にハッポースチロールを積んで、
販売しているようだ。その話をしていたら、夜に、豆腐が出て来て、教授が持ってきた
醤油を掛けて食べたら、全く日本の絹ごしとうふでした。形は四角形ではないですが、
三笠焼のような形でした。現地では、それを加工するみたいです。
 
 泊めて頂いたお宅の話をしておきましょう。
ピーニャ織りの発祥地であるパナイ島に行くには、カリボ空港を利用しなくてはなりません。
観光地でホテルのあるイロイロ市という都会へいくには、車で何時間走らせなければなりません。
カリボ空港のあるカクランという町は、田舎町で、年に一度、一月にお祭りがあり、その時には、
海外からも大勢の方が来られるそうで、にわか民宿で、賑わうそうです。
 それ以外は、ちゃんとしたホテルがなく、泊めて頂いたお宅は仕事関係の方を泊めるように、
用意された民宿的なお宅です。
 このお宅は、おばあさんがピーニャの第一人者であり、人間国宝的な存在で、仕事と大きくされ、
長女が、おばあさんの後を継ぎ、二女がマニラでピーニャ・ニト等の営業を担当し、三女は、フィリピンで
有名な竹細工の「ニト」の製造販売で、成功し、アメリカに輸出を展開している。その工場が、
お宅の敷地内にある。
 
 さて、目的のピーニャの糸作りや出機的な織り工場そして、織屋を見て回りました。
ピーニャについては、下記のサイトで。
 http://web.kyoto-inet.or.jp/people/esv389gt/soko.html

帰宅したのは、夜遅くなりました。

本日、これまで。

 とうふやさん(ベランダから)


 玄関先の庭


 ニトの材料


 ニト製品の点検・出荷の工場
  

Posted by お 富  at 11:51Comments(0)フィリピン織物指導

2009年09月20日

フィリピンへ織物指導の旅日記 第一日目続

関空では、インフルフェンザの関係で、厳しいチェックがあると思いましたが、それもなく、
逆に、フィリピン側が日本からの持ち込みを懸念して、入国の書類とは別の健康チェックの
書類を書かされました。(全て、英語バージョン)3時間のフライト後、マニラ空港に到着して、
出発の日本も暑かったけれど、マニラでは、ちょうど、京都での祇園祭り時分の暑さで、
湿度も80%程度あり、むっとしていました。
 入国手続きを済ませ、一週間前から、マニラに行っている教授と会う為に、
国際線ターミナルを出て、向う時に、やたら、空港警備員なのか警察官なのか
はたまた、空港職員なのかわからない人達が多く、出口付近で、職員かな?
と言う人に止められて、「気持ち」という日本語で話しかけられ、ポケットから
日本の千円札を見せられて、初めての場面だったので、日本の千円札を
すっと出してしまいました。急場凌ぎで出したものが、後で航海先に立たず(船でなく飛行機やちゅうの)

 教授と中々会えず、そして、飛行機とターミナルでは、全て禁煙でしたので、警備員か職員か
分からなかったけど、アッシュトレーのある場所を、聞くと案内してくれたのは良いが、しばらく、
じっと、横にいて、チップを貰おうと粘っていて、私は別の方向を見て、見てないように無視をしましたら
いなくなっていた。   皆さんも、空港内では、気を付けてね!!!!! 

 マニラで、契約なしの通話料だけの日本でいうカード携帯を借りた携帯で教授と逢って、
目的のピーニャ織りの現場のあるボナイ島のカリボ空港まで国内線で移動しました。
又、飛行時間は1時間でした。
 ワンポイント--航空機の選択は、国際線だけ(マニラ到着)の場合は、どの航空会社でも
良いが、国際線と国内線を乗り継ぐ場合は、同じ航空会社を選ばれた方が良い。(全てとは限りませんが)
というのも、同じマニラ空港でも、発着が、別の場所で、かなり離れる場合がある。
私は、フィリピン航空を選びました。
 そして、携帯は、日本の携帯会社は世界どこでも、使えますが、料金がかなり高くなりますので、
現地で、カード携帯を用意された方が、日本の家族との連絡も、安く付きます。

 カリボ空港に着いて、目的のピーニャの人間国宝的なおばあさん宅に泊めて頂く為に、
娘さん夫婦が、出迎えて頂いて、自家用車で街中を通って、大きなお宅へ到着しました。
 そして、挨拶もそこそこに、泊まる部屋に案内されて、一寸一休みして、皆さんと夕食をしました。
明くる日は早朝の出発の為、早くも就寝の準備。 グットナイト!!!

    カリボ空港


    道中の町中風景
 

    泊めて頂いた寝室(独り寝で~す。)

  

Posted by お 富  at 22:29Comments(0)フィリピン織物指導

2009年09月20日

フィリピンへ織物指導の旅日記 第一日目

ピーニャの織物指導の事は、別サイトにて、お伝えする事に致しました。ブログでは、
これから、皆様が、フィリピンへ旅をされる時に、少しでも、お役に立てればと、
私が感じた事、注意する事等を日記風に載せる事となりました。

 さて、第一日目の朝から、始めましょう。先ず、関空のフィリピン航空の集合・出発が
早く、乗合タクシーも考えましたが、何人かの家を回って、そして、高速を乗って行くという事で、
何かのトラブルがあれば、集合場所に時間通りに行かずという事で、JRはるかで、
行く事にした。初めてで、乗れなかったらと前売りの座席指定券を購入、これは、
後で気が付いたのですが、指定券なしの自由席でも十分でした。

 定刻通りに到着して、持っていたのは、eチケットでしたので、カウンターでボーディリング パス
と交換して、出国手続きをして、出発までのんびりと!!!

本日はこれまで。

ピーニャの織物指導のサイトは下記へ
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/esv389gt/soko.html




  

Posted by お 富  at 01:37Comments(0)フィリピン織物指導

2009年09月15日

フィリピンへ織物指導の旅日記 パート3

フィリピンという未知の国へ行くという事で、戸惑いがあった。
そして、太平洋戦争では、激戦の土地であり、未だ、遺骨が残っており、
反日感情が、どのようになっているのかそれも未知数であった。
 しかし、連れて頂いた教授の行動範囲の中では、安心という文字しか
浮かばなかった。教授は、安全な場所を選んでくれていたようだった。
そして、多分、現地の方も一緒という事もあったと思う。
 ツアー旅行ではなく、プライベイトの旅行ではそうは行かないと思う。
マニラは大都会であって、いくつかの島々からなっているフィリピンでは、
旅立つ時は、事前に調べておくべきであろう。
 マニラにおいては、ガードマン風の人は、必ず、ピストルを所持し、
宝石店・マーケット(百貨店)・美術館等には、ショットガンか自動小銃を
所持し、監視にあたっている。日本では考えられない光景でした。
 でも、日本と一緒で、ガードマンか警察官かパッと見た感じは分からない。
勿論、軍隊の兵士もガードしているが、これは一目瞭然でした。

本日、これまで。

スーパーマーケット前にて(マニラ)
  

Posted by お 富  at 11:05Comments(0)フィリピン織物指導

2009年09月14日

フィリピンへ織物指導の旅日記 パート2

9月7日より4泊5日で11日に帰って来ました。
往復、フィリピン航空で国際線・国内線の乗り継ぎの旅で、
内容はハードスケジュールで疲れましたが、あっという間に時間が経ちました。
私にとっても、かなり有意義な旅であり、現地でも、私が指導した新しい技術を
学んで貰い、取り入れてくれているようです。

当方の織物関連の本業も、山積みになっていておりますので、
内容等は次回にご報告申し上げます。

マニラ空港

  

Posted by お 富  at 00:12Comments(0)フィリピン織物指導

2009年08月15日

フィリピンへ織物の技術指導に。パート1

来月初旬にフィリピンへ織物の技術指導に行く事になりました。
数年前から、フィリピンにてパイナップルの繊維で織るピーニャを
より以上に、楽に織り手さん達が、織れるように、国際コミュニケーション学科の
大学教授に口頭でお伝えして、現地の方に、技術指導をしてきましたが、
10日ほど前に、是非、現地で指導をと要請があり、行く事となりました。
 以前から、教授には、現地の織手さんが、少しでも、楽に織れ、品質向上し、
生活が少しでも、豊かになるのなら、お手伝いをさせて頂きますと、申し上げて来ました。
 販売業者さん等だけが、潤うのではなく、作り手も、苦労した分、少しでも潤うべきだと
思っていますので、少しでも、お役にたてるのであればと思い、引き受けました。
 西陣織の技術を現地仕様に合わせて、織り方等の指導出来ればと思っています。

パスポートの申請をして、それも受け取り、航空券も受取、現実的になって来ましたので、
ブログにアップしました。
又、報告します。  

Posted by お 富  at 00:35Comments(3)フィリピン織物指導